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疾風怒濤の勢いは逆シャアレベル!『GのレコンギスタⅢ 宇宙からの遺産』がTV版より面白い理由

劇場版『GのレコンギスタⅢ』「宇宙からの遺産」を見てようやく腑に落ちた。「ああ、Gレコってこういう物語だったのか」と。映像の圧縮と芝居の方向付け、そして何よりドラマの肉付けによってTV版より格段に面白くなっている。齢79歳にして、まだまだ庵野にも細田にも負けないぞと鼻息荒く現場で暴れ回る富野由悠季監督の"伊達じゃなさ"をフィルムを通して見せつけられたようだ。

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Gのレコンギスタ』はそもそも2014年から2015年に放送したTVアニメシリーズで、劇場版はそれを再編集して全5部作にしたもの。現在は3作目にあたる『GのレコンギスタⅢ』が公開中だ。『機動戦士ガンダム』など過去のガンダム作品も度々総集編映画が作られてきたが、今回は元々が全26話と少なく、映画も全5本と多いおかげでダイジェスト感は薄く、総集編というよりは再編集版・ディレクターズカット版とでも呼ぶべき作りになっている。

Gレコの舞台は初代『機動戦士ガンダム』で描かれた宇宙世紀の遥か未来にあたるリギルド・センチュリー宇宙エレベーターを守る警備兵候補生である主人公ベルリ・ゼナムが、ガンダムGセルフ」を駆る女海賊アイーダ・スルガンからの強襲を受けることから物語は始まる。ひょんなことから海賊に参加してしまったベルリが恋に目覚め、血の宿命に苦しみながら宇宙の果てを目指し、一触即発の宇宙戦争に向き合う、というのが全体のストーリー。

……と一息に書けばシンプルに聞こえるが、富野監督らしい独特のネーミングのキャラクターや専門用語は26話で扱うにはあまりにも膨大な量で、一瞬でも見逃せば置いて行かれること確実。さらにセリフの応酬はコミュニケーションが成立しているのか怪しいすれ違いっぷりで、一度見ただけでは全体像を把握するのも困難という挑戦的な作品だった。

特に今回の『GのレコンギスタⅢ』のベースとなっているTVシリーズ12話~18話はGレコを象徴するかのようなカオスっぷり。月に住む第3勢力が登場したことで以前の敵とも共闘するし、ともすれば月の民とも協力してごみ拾いを始めるしで、一体誰が敵で味方なのか、物語はどこへ向かうのかと混乱させられるものだった。おそらくこの辺りで視聴を断念した方も少なくないだろう。

 

  • 逆シャア』並みの疾走感がカオスをねじ伏せる劇場版

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以前のレビューでも書いたように『GのレコンギスタⅠ』『GのレコンギスタⅡ』の時点で、TVシリーズよりわかりやすくなっていた。セリフが整理され、ベルリとアイーダを中心にシーンを足すことで共感しやすい主人公像が見えつつあった。ただどうしても複数話を無理やりつないでパッケージングした感が否めず、映画として見たときの統一感・満足感はもう一つというところだった。

そこに来て『GのレコンギスタⅢ』は、突然"映画"に化けた。大きな要因は2つある。まずベルリとアイーダの生い立ちを巡る追加シーン。このシーンでベルリはストレスを吐き出し、アイーダとの和解を果たすことができた。TVシリーズではストレスを溜め込んで暴走し、一視聴者としてあまり好感を持てないキャラに成り下がっていったベルリが全部吐き出したのである。アイーダもまた、TVシリーズではベルリの事を嫌ってるのか好いてるのか何も考えてないのかよくわからない女だったのが、ちゃんとベルリを受け入れるのである。TVシリーズ最終回まで至ってもモヤモヤしてよくわからなかった二人の関係性に一つのピリオドを打ったのだ。

もう1つの要因は映像の圧縮・芝居の方向付けによる疾走感である。『GレコⅠ』『GレコⅡ』でも削除シーンは複数個所あるもののそれほど多くなく、そのためにTVシリーズ各話を繋いだだけというか、映画としてのまとまりに欠けるところがあった。ところが『GレコⅢ』に至ってはまるまる削除した戦闘シーンや(12話のマスク戦)、複数の戦闘シーンをひと繋ぎにまとめたシーンもあり(17話と18話)、映画としてのまとまりが生まれている。

また疾走感を生んでいるのが上手(画面向かって右)から下手(向かって左)への芝居の流れだ。かねてより富野監督は上手と下手を意識した自身の演出論に基づき映像作品を制作してきたが(詳細は『映像の原則』として著書にまとめられている)、芝居の流れが生まれるのはあくまでカット単位、シーン単位に限るものだった。それが『GレコⅢ』では、冒頭から地球を上手に宇宙へ突き進む戦艦メガファウナを描き、終盤では下手の巨大戦艦クレッセントシップ目がけてばく進するメガファウナを描くことで、映画全体を貫く上手から下手への明確な芝居の流れが発生している。TVシリーズ第13話では月を目指して画面右上(上手)を指差すアイーダが印象的だったが、このシーンの削除も上手から下手への流れを妨げないよう意図したものだろう。この疾走感は『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』『イデオン 発動編』にあった一種のグルーブ感さえ生み出しており、そこが本作に"映画"を感じる所以だ。

 

  • 新規カット大増量となる4作目への期待

ここまで褒めちぎったがもちろんもの足りないところはある。疾走感で無理やりねじ伏せているがカオスな展開は変わらないので、一度見たきりではキャラクターも専門用語も把握し切れないことだろう。またあくまでTV版をベースに編集したものなのでイマイチな作画・美術は散見される(新規作画は体感2割程度)。

ところが次作『GのレコンギスタⅣ』は、インタビュー記事によるとかなりのパートが新規作画になることが明言されている(まるまる新規の戦闘シーンもあるとか)。宇宙の果て―金星圏でベルリとアイーダは戦争を防ぐための学びを得る……のがおそらく4作目のストーリーなのだが、TVシリーズではあまりに駆け足だったのでどんな学びがあったのか正直よくわからなかった。劇場版ではそこが新規カットにより詳細に描かれるのだろう。

本作で「行きて帰りし物語」である物語構造が明確になった『Gのレコンギスタ』。"わかりやすい"『GレコⅠ』『GレコⅡ』から”面白い”『GレコⅢ』になり、今や富野監督の演出力は全盛期に迫ろうとしている……いや今がまさに全盛期かもしれない。正念場となる次作はとんでもないことになるだろう。この奇跡に追いつくには、劇場公開中の今しかない。

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