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失なわれたものと残った輝き 映画『君たちはどう生きるか』レビュー

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見終わった印象は「宮﨑駿も楽しい夢を見せられなくなったのか」という残念さと諦念と、けれどどこか清々しさをも入り混じるものだった。

 

7月14日に公開された宮﨑駿監督・スタジオジブリ最新作『君たちはどう生きるか』は、事前PRなしという異例のPR戦略のもと公開された。どんな内容なのかと期待に胸を膨らまさせられたのでまんまと戦略にのってしまったわけだが、蓋を開けてみればオーソドックスな行きて帰りし物語だ。

舞台は第二次世界大戦の緊張感が走る昭和10年代の日本。火災で母を亡くした主人公の少年・眞人(マヒト)は、父の再婚相手である夏子の生家で暮らし始める。眞人はその家で出会ったしゃべるアオサギにいざなわれ、家の庭にある不思議な洋館、そして地下に広がる謎の世界へ向かうが…というのが序盤のあらすじ。

 

宮﨑駿のフィルモグラフィーを振り返ると、初期の『未来少年コナン』『風の谷のナウシカ』『天空の城ラピュタ』は空想科学世界を描き、『となりのトトロ』『魔女の宅急便』『紅の豚』では現実世界に空想が溶け込んだ世界を創造し続け、それらの集大成である『もののけ姫』が大ヒット。そして後期の『千と千尋の神隠し』『崖の上のポニョ』『風立ちぬ』は現実世界から空想世界へ越境する物語へと変容を遂げた(後期作品の中では『ハウルの動く城』のみ断絶を感じるが、細田守監督予定作を救済した企画ゆえか)。

これを踏まえると今作『君たちはどう生きるか』も完全に後期作品の流れに乗った越境ものである。そして『千と千尋の神隠し』『崖の上のポニョ』ではあいまいな描き方にとどめいたが、今作ではあちら側を明確に死後の世界として描いている。場面によっては地獄とも極楽とも呼ばれており、生命の誕生を示唆するシーンもあったので生死全てを内包する世界なのだろう。

かつてのサービス精神旺盛な宮﨑駿なら、それでも賑やかで愉快なテーマパークのような世界を描いていたかもしれないが、今回のあの世はアルノルト・ベックリンの「死の島」で幕を開け、江戸川乱歩の「幽霊塔」で終わる。住んでるのはペリカンとインコばかり。レイアウトや演出も精細を描いており、かつて見た場面を想起させるものは多くとも新鮮は感じられなかった。狂気のような鳥の群像にこそ驚いたが、過去作に比べれば作画カロリーも抑え気味だ。

楽しい気持ちを持って帰ってもらおうという気はサラサラない、というかもはやそういったイマジネーションは枯渇し、深層心理に沈殿するかつて触れてきた文学と絵本と芸術の断片を必死に繋ぎ合わせた世界があれなのだろう。かつての輝きは既になく、人は老いるのだという現実を突きつけられるようだった。

 

ただそれが悪いことばかりでなく、宮﨑駿に残ったものが一層輝いて見えた。最も印象深いのが魅力的なキャラクターたちだ。主人公・眞人の利発さにはやられたし、サギやインコといったキャラクターのユニークさ、力強い父やお婆ちゃんたち、そして可憐なヒロイン。今回作画監督に抜擢された本田雄の助けが大きかったのは間違いないが、やはりここは宮﨑駿ならではとしか言いようがない。

そして現実世界の鋭い描写力だ。あの世が恐ろしかったのに対し、戦火が迫る昭和日本の当時ならではの活気と厳かさを、独特の光景と丹念な所作で描いていた。『風立ちぬ』でもこの点が非常に優れていると感じたが、今作でもその冴えはまだまだ衰えていない。

 

人は老いるが、築いてきた輝きは僅かでも残る。これが今作の物語上からも、宮﨑駿の筆致からも表現されているのだからなんと美しい映画ではないか。

君たちはどう生きるか』――随分と説教臭いタイトルを付けたなとは思ったが、見終わって振り返るとこれは説教ではなかった。「老いるのも悪いばかりではない」「これを見た君たちはどう生きるか」という、長年アニメを作り続け栄光を掴んだ老人からの問いかけなのである。

現実という地獄をどう生きて、死ぬか。酷な問いだが、各々受け止めて、考え続けるしかない。