ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序

朝6時半に新宿ルミネ1に着くと、朝早くだというのに既に3〜400人に及ぶ長蛇の列。最終的に列は800人を超え、開場後も増え続ける人たちによって1000人を収容するルミネ1でさえも立ち見が出るほどの大盛況。
そんな熱心なファンの中にはいかにもなオタク的外見の人ももちろんいたが、普段アニメを見ないような若者や女性も多く見られ、『新世紀エヴァンゲリオン』が初めてテレビで放送された95年からの12年の間で多くのファンを獲得してきたことを物語っているようだった。エヴァにどっぷりとはまりアニメの世界から抜け出せなくなった青年、表現の一環として取り込んだ女性(というかレイヤー)、エヴァなど理解できないであろうが親に連れられてきた小学生。エヴァに対する気持ちは様々であっても、こんなにも朝早くから集った人間の想いは一つ。
新しいエヴァを観たい。
上映開始時に自然と巻き起こった拍手は、そんな皆の意識を一つする、儀式めいたものだったのかもしれない。


映画として面白かったか?と聞かれれば、素直に肯くことはできない。かなり手を入れられたとはいえ、多くはテレビ用アニメとして使うことを前提に作られたカット。そこに映画らしさを感じるのは難しいし、元になっているのはテレビアニメ6話分のため、物語はあまりにもテンポ良く進みすぎる。100分弱の間にシンジは実に3回もヱヴァでの出撃を強要され、トウジには前置きなくどつかれる。シンジじゃなくてもこんなにせわしなくボロボロにされたらイヤになるに違いない。

しかし、テレビアニメのリメイク総集編だと思って見れば話は違う。『劇場版∀ガンダム』のときも『劇場版Ζガンダム』のときも最も気になった新旧作画の違和感というものが、全カットにわたる作画修正・背景差し替え・デジタル彩色というスタッフの気の遠くなるような地道な作業によって、全く気にならないレベルにまで辿り着いている。12年の壁を越えたこの作り変え作業によって多くのファンが抱いている「心のエヴァ」を具現化したであろうこの映像は、リメイクとしては100点満点の賞賛に値するものだろう。
映画になっていない、ということは製作陣もわかっているのか、映画の中身は綺麗にAパート・Bパートに別れたうえに、おなじみの次回予告まで用意されており、さながら大きなハコで見るテレビアニメ、という風体だ。

物語の面から見ると、Aパートこそテレビ版の構成を駆け足になぞっているのだが、綾波との交流からヤシマ作戦へと雪崩れ込むBパートが進むにつれて新規作画シーンが増えていき、次第に自分の観ているものが「エヴァ」なのか「ヱヴァ」なのか、不確かさを増していく。そしてそれが決定的になるのがシンジがアレを見るシーン。シンジ自身もアレを見てたまげるのだが、観客にとってはアレはアレであってアレでないものになっていることにたまげ、息もつかないままものすごいことになっているラミエルとヱヴァチームの大決戦で物語はクライマックスへ。そしてそれで終わるとい思いきや突如ムニャムニャが出てきてモニャモニャと爆弾発言をし、テレビ版と劇場版の間で揺れ動いていた振れ幅は限界に。それで充分頭が混乱しているところにED後の次回予告にはまさかの○×△なんてものが出てきて観客騒然。物語は完全にタガを振り切ってあらぬ方向に吹っ飛んでいってしまった。


奇妙な映像体験を味わった、というのは確かなのだが、自分が見たものが何だったのか、そしてこれがどこへと続いていくのかが全くわからずに釈然としない。また悩みながらエヴァに踊らされる日々がやってくると思うと悔しいような嬉しいような変な気分だが、これはもう一度テレビ版を見返して、劇場に再び足を運ばなくてはならないということなのだろう。