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ゲームはもう時間潰しじゃない――『DEATH STRANDING』クリアレビュー

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PS4用ゲーム『DEATH STRANDING(デス・ストランディング』の発売前、こんなエントリが話題になっていた。

anond.hatelabo.jp

ゲームは時間を潰すもの。そう思う人がいるのはわかるけれど、自分にとってゲームはコミュニケーション手段であったり、ストレス解消だったり、何かしら目的意識をもって取り組んできたつもりだ。『DEATH STRANDING』にも感動的なストーリーへの期待を抱いていた。

 

クリアした今思うのは、感動ストーリー体験以上のものがあったということ。コントローラを置いたとき、世界の見え方が変わったようにさえ思えたのだ。

 

 

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『DEATH STRANDING』は、荒廃した未来の北米大陸を舞台にしたアクションアドベンチャーゲーム。プレイヤーは伝説の運び屋と呼ばれるサム・ポーター・ブリッジズ。

都市から都市へと荷物を運び、断絶した都市間のネットワークを回復させ、目指すは遠く離れた西海岸。捕らわれの身である次期アメリカ大統領・アメリを救い出す、というのがゲームの最終目的だ。

 

このゲームの最大の特徴は、「道」がないこと。

どんなゲームであれ、文化の営みがあれば交通の要である道はあるのが当たり前。けれどこのゲームの舞台である荒廃した大地では街は地下シェルターに形成されみんな引きこもり。外の世界を歩くのは自分だけだから道すらない。道がないと小岩も小川も坂道もすべてが荷物運びの敵。ちょっとでもけつまづくと荷物はこわれ、川の深みにはまると荷物は流される。

必死に歩きやすいルートを模索し、置きやすい足場を観察して、歩を進めていかなくてはいけない。

 

けれどプレイを進めていくと、ネットワークでつながった世界中のプレイヤーとの協力要素が出てくる。お互いの姿は見えないけれど、他人の通ったルートが見えるようになり、残していったハシゴやロープを融通し合うことができる。素材集めを協力しながら橋や国道を建築することさえできるようになる。

プレイにかかった時間は44時間ほど。およそ半分は孤独にさいなまれていた時間だけれど、長く苦しんだ分、他のプレイヤーに助けられたときのありがたみは忘れられないものになった。

 

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そして最も面白いのは、コントローラを置いたあとのこと。外の世界に一歩足を踏み出すと、なんと道が平らじゃないか! 右足と左足の置き場を考え、バランスをとらなくて済む! 道路って、実はすごい。

当たり前に目の前に存在していると思っていた世界は、当たり前ではなかった。道路が、ひいては建物も、街も、社会も、配送網も、たくさんの人の汗と時間とで出来ているということに改めて気付かされた。視野が広がり、これまで見えていなかった世界が見えるようになった気さえする。

 

思い返すとゲームにはじめて触れたころは『ポケットモンスター』にしろ『ファイナルファンタジー(WSC)』も『ドラゴンクエストⅠ・Ⅱ(GB)』も、『R4』も『真・三國無双2』も『SSX3』だって、どんなゲームも想像力を鍛え視野を広げてくれる娯楽作以上の存在だった。

けれどいつしか感動することは減り、ましてや気づきを得ることなんてとんと無くなっていた。たくさんのゲームに触れていくうちに、不感症になっていた。多くのゲームを、実は自分こそが時間潰しにしていたのかもしれない。

 

 

はしごとロープで道をゆく『DEATH STRANDING』はまさに現代の『ドンキーコング』。ゲームの原体験を思い起こし、視野を広げてくれる存在だ。

ゲームはやはり、時間潰しじゃない。 

 

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写真を撮ってくださった小島秀夫監督とキャラクターデザイナー新川洋司さん。神&神。