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唯一無二の旅情と失われた作家性 『ファイナルファンタジーXV』クリア後レビュー

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2006年のE3で企画が発表されてから10年の時を経て、ついに発売された『ファイナルファンタジーXV(以下FF15)』。FFシリーズナンバリングタイトル初のアクションRPG且つ、初のオープンワールドゲームという挑戦尽くしの本作は発売前から楽しみで仕方なかったのだが……。クリアした今振り返ると、オープンワールドを活かした「旅情」が強く印象に残った一方で、これまでのFFにあった大切な「作家性」の喪失を強く感じた。

 

  • 唯一無二の旅情

FF15』はシリーズ初のオープンワールドゲーム(定義が曖昧なので、ここではゲーム内の大部分を画面の切り替えなしに移動できる3Dゲームとしておく)であるが、『GTA3』以降盛んに作られたこのジャンルは広大な世界を冒険できる点に圧倒的なリアリティを感じさせるものとして知られてきた。

ただオープンワールドゲームは、本作企画発足当時の2008年はまだしも最近では目新しさも薄れてきた。そこで『FF15』では革新的なシステムにより圧倒的な「旅してる感」を提供することに成功している。

一つが「宿泊システムの刷新」だ。昼夜の経過をゲーム内で表現したものはこれまでも数多くあったが、その多くが景色や出現モンスターの変化程度だった。『FF15』では夜間に最大限のデメリットを与え、代わりに宿泊に最大限のメリットが与えられている。

具体的には夜間には「闇夜はほとんど前が見えない」「強力なモンスター(ゲーム中盤~終盤級)が出現する」「メインの主要移動手段であるオートドライブ機能が封じられる」といったデメリットが発生する。一方宿泊には「レベルが上がる(これまでFFとは異なり、敵撃破時に取得する経験値はストックされ宿泊時にレベルゲージに加算される)」「テント宿泊時には起床後一定時間ステータスアップ(上昇ステータスは作る料理により選択可能)」「宿への宿泊時には取得経験値にボーナス付与(✕1.2倍)」といった最大限の、というかゲームを進めるうえで必須な要素が盛り込まれている。

昼間は冒険して夜は寝た方がマシ(頑張って頑張れないこともないが無理すると危険)という実生活の、ひいては本物の旅がシミュレートされている格好だ。

またもう一つの要素が「AIによるオート撮影システム」だ。最近のゲーム機ではSNSでの拡散を狙ってか、スクリーンショットを撮る機能が標準搭載されるほどとなったが、『FF15』ではパーティメンバーの一人(プロンプト)が勝手に撮影してくれる。これがまた芸が細かく、単純なスクショではなくプロンプトの視点での写真であるから、バトル中の予想外のアングルであったり、そんなシーンなかっただろ!?と疑う街中でのワンショットをバシバシ撮ってくれる。また撮影を繰り返していくとプロンプト自身の自撮りが混じったりフィルター加工を使用したりと、写真撮影の腕が上がっていく。なおこの写真も前述の宿泊時に保存やシェアができるようになっている。とりあえず私のプロンプトのプロカメラマンっぷりを見てくれないか。

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はいイリスちゃん可愛い。イリスちゃんとの思い出もオート撮影でばっちり保存できてしまう。なんと素晴らしい旅ではないか。

これまでのゲームではわざわざゲーム画面を撮影するのなんて承認欲求の強い極一部のプレイヤーに限られていたが、自動化されることで全プレイヤーが均一に、旅の思い出を振り返ることができるようになったのだ。

FF15』はとかくこれらシステム側のサポートにより旅情を味わうことができ、パーティメンバー4人への好感を増す効果を発揮している。「水曜どうでしょう」などと例えられる本作だが、実はかなり的を射た表現とも言えるだろう。

 

  • 失われた作家性

FFシリーズと一口に言っても各作品非常に印象が異なるが、それでも坂口博信氏や、北瀬佳範氏、野島一成氏、松野泰己氏といった各ディレクター、シナリオライターの作家性と、それを表現する最高の技術、その組み合わせこそがFFの個性だと思っていきた。しかし『FF15』ではそんな作家性を感じることができず、技術力だけが空回りしているように感じた。何に起因するのかと考えてみると、やはりゲームの各要素のアンバランスさだろう。

前述した旅に関するに関するシステムや、パーティメンバー4人の個性、訪れる2つの街、2度ある巨大召喚獣戦といった点は突出して作り込まれていて、時には声を出すほどの感動もあった。

けれどもそれをつなぐシナリオ周りがその印象を悪くしている。2国間の戦争状態を描いているはずがいつもの召喚獣巡りに終始しており、敵の幹部は道案内してくれたり定時に帰ったりとまるで緊張感がない。2つの国の主要都市が劇中で明確に描写されない(やっと歩ける場面が出てきても一部を切り取ったダンジョンでしかない)ので、この国を守りたいというモチベーションも、敵国に踏み込んだ時のカタルシスも湧かない。中盤からリニアなゲーム進行に突如変貌し窮屈さを強いられる。パーティメンバー、特にグラディオラスについては突然キレたりいなくなったりと行動に理解が追いつかない。

結局は、魅力的なシーンとオープンワールドというお題目を継ぎ接ぎをしただけで、このゲームを通して訴えたいものが何もない、極めて工業的な作品にさえ思えてしまった。

ただこういった完成形には、なるべくしてなったのだろう。本作は2014年よりディレクターが野村哲也氏から田畑端氏に交代しており、その時点で体制強化をし、発売時期の目処までつけている。今年掲載されたバンダイナムコゲームス原田勝弘氏と田畑端氏の対談を読む限り非常にチームビルディングが上手い人だ。田畑端氏でなければおそらく本作を完成させることができなかったであろう。チームビルディング力と作家性、天は2物を与えなかっただけの話である。購入したプレイヤーにとっては発売されたパッケージが全てであり、裏事情など知ったこっちゃない話であるが。

 

  • まとめ

良い面も悪い面も書いたが、個人的には完成したことそれだけでも評価したいし、個性的なシステム周りやノクティスらメインキャラクターなど気に入った点も多々ある。

またマイナス要素として書いた作家性云々については、本作のスピンオフ映像作品として作られたCG映画『KINGSGLAIVE FINAL FANTASY XV』では、『FINAL FANTASY VII ADVENT CHILDREN』も手掛けた野末武志監督の魂を色濃く感じることができるし、アニメーション作品『BROTHERHOOD FINALFANTASY XV』はアイドルアニメの脚本を多く手がける脚本家綾奈ゆにこ氏の熱量がこもっている。作家性はこれらの作品から十分に補えるので、これからの人は是非プレイ前に観賞することをオススメしたい。

間違いなく言えるのは、このゲームがこれからも長く語り継がれるということだ。どの要素に重きを置くかによってプレイヤーの評価が大きく変わるゲームであるが、一番楽しめる今、やっておいて損はないはずだ。