映画『フリクリ プログレ』が9/28に公開された。本作は2000年から2001年に発売された前6巻のOVA『フリクリ』の続編企画として制作された映画のひとつで、内容的にもOVA『フリクリ』の続きとして描いている、ように見える(いくつか矛盾を感じる点もあるので納得はしていないが)。ちなみに9/7に公開された『フリクリ オルタナ』はOVA『フリクリ』の前日譚のようである(これも明言はされていないが)。
制作は『フリクリ オルタナ』から引き続きPloduction I.G、総監督 本広克行、脚本 岩井秀人とメインスタッフは重なるが、各話で別の監督が立てられている点は大きくことなる(映画と銘打ってはいるが、北米で先行放送された6話のアニメを連続で流すだけなので話数の区切れが存在する)。OVA『フリクリ』制作スタッフはほとんど関わっておらず、鶴巻和哉がスーパーバイザー、the pillowsが主題歌・劇中歌を担当している程度である。
なお『フリクリ オルタナ』の出来が惨憺たるものだったことは以前本ブログに書いたとおり。
まずほとんど見どころのない『フリクリ オルタナ』に比べると、見応えのあるカットはいくつかあった。1話のアバンタイトルは本作の盛り上がりを期待させるに十分な迫力ある映像であったし、1話と2話の間に流れるオープニングアニメーションは伍柏諭(ご はくゆ)が手がけているだけに『フリクリ』と『フリクリ プログレ』の間を埋める絵物語を鮮烈な映像で描いている(伍柏諭は伝説の作画アニメ『Fate/Apocrypha』22話の絵コンテ・演出・作画監督を務めたことで名高い)。
そして末澤慧監督による第5話は、『かぐや姫の物語』を想起させる手描きの勢いを活かした描線や、AI動画の活用、めばち(めばち (@mebachi) | Twitter)によるコミック風アニメなど実験的手法に富んでおり見応えがあった。
ただそれはそれとして、映画全体を俯瞰するとやはり厳しい出来と言わざるを得ない。前作ファンという無形のものをターゲットにした結果か、誰をも幸せにできない映像作品になってしまった。
『フリクリ オルタナ』はまだ、女子高生4人組を主人公に据えた物語とすることで、OVA『フリクリ』とは違うものを、萌えであったり、女子の共感を得ようとする気概は感じた(それが達成し得たかは大きく疑問であるが)。
一方『フリクリ プログレ』は、主人公であるヒドミ、井出の生活空間にエキセントリックな2人の女、ハルハ・ラハルとジンユ(2人はOVA『フリクリ』のハル子の分裂体であるらしい)が表れたことをきっかけに、井手の頭から多足型のロボットが表れたり、ヒドミに角が生えたりしながら、ラハルはなんやかんやあってジンユと一つになった後、目的である大海賊アトムスクとの邂逅を果たす。つまるところ、ナオ太の役割をヒドミ/井出、ハル子をラハル/ジンユに分割しただけのOVA『フリクリ』の語り直しである。
語り直し自体はよくある手法であるし、『スターウォーズ』だって『ガンダム』だってやっている。だが語り直す必然性が必要だ。現代の観客に通じる要素や、解釈、技術を加える必要がある。だが『フリクリ プログレ』にはそんな必然性はまるで感じないし、むしろマイナスにさえ感じる。
OVA『フリクリ』は各話の演出が一番の魅力だと思っているが、それを彩る脚本/台詞も大変面白かった。各キャラクターの台詞は一見、マシンガンのように繰り出される意味不明で理解不能な台詞の連続であるが、何度も見返すと意味も意図も味わい深く、散りばめられたギャグやパロディーは作り手の愛やこだわりを強く投影したものばかりだった。
一方『フリクリ プログレ』においても意味不明な台詞の多様が見られるが、本当に意味も意図もないことが一見してわかってしまうし、ギャグもパロディもまるで冴えない。脚本に引っ張られるかのように(上記の一部を除いて)演出も淡々としており、各話で監督を分けて個性を出すことにも成功していない。
背景美術が酷いのも気に触って仕方なかった点だ。OVA『フリクリ』では『機動警察パトレイバー the Movie』も手がけた名匠・小倉宏昌(アニメ『SHIROBAKO』でも小倉正弘としてネタにされていた人物)が美術監督を務めることで、独特で余白の多い、故にどこか懐かしい世界観を形作るのに一役買っていた(鶴巻和哉はインタビューで、背景を写実的にしないことで漫画的表現を目指していたと述懐している)。
『フリクリ プログレ』は背景を写実的にしない点こそ真似てはいるが、漫画的であることを履き違えた、ただただ拙く、幼稚でデッサンのおかしい背景が延々と続くので気が狂いそうになる。同じく拙さは感じたものの、『フリクリ オルタナ』はパステル調な別の方向性を目指しているだけまだマシであった。
庵野秀明の言葉を借りるなら「背景美術が作品の世界を決める」のであり、そこの手を抜かれると脱力するしかない。『フリクリ プログレ』をもしこれから観る方がいるなら、背景、特に1話の街並みや2話のスラム街、3話の浜辺は要注目である。
『フリクリ プログレ』は全編を通して、ただただ『フリクリ』を上っ面だけで舐めて真似しました、以上の意思が感じられない。それは語り直しではなく、劣化コピーであり、出来の悪い二次創作だ。そこには現代を生きる人間に、若者に向けた視点や、物語、メッセージを露程も感じられない。当時中学~高校時代を過ごしていた私に大きな爪痕を残した『フリクリ』とは、明確に異なる。
これは想像でしかないが、『フリクリ』には海外にファンが多いという話を聞くに、今回の2本の映画も海外ファンを意識して制作されたのであろう。ただ、「海外のファン」というふわっとした存在をターゲットにした結果、明確な意思も意図もない、誰も満足させられない映像が生み出されてしまったように思える。これは同じくProduction I.Gが手がけた『攻殻機動隊 ARISE』でも感じたことであるので、「またか……」という想いで一杯である。
望まないが、次があるなら、同じ轍を踏まないことを願う。
今回の映画化2本立て企画は大失敗だと思うが、OVA『フリクリ』の新作グッズを沢山作ってくれたこと、そして積極的に見直す機会を与えてくれたことだけは、感謝しておきたい。